日本人ノーベル賞を年代順に見る|受賞の歩みがわかる年表

1949年の湯川秀樹から2025年の坂口志文・北川進まで日本人ノーベル賞の歩みを年代順に表した年表イメージ ノーベル賞

日本人ノーベル賞の歩みは1949年の湯川秀樹から始まり、2025年の坂口志文・北川進まで、科学・文学・平和へと広がってきました。

年代順に見ると、単なる受賞者名簿ではなく、戦後の基礎科学から生命科学、新材料、気候研究、平和活動へと評価の対象が広がった歴史が見えてきます。なお、2026年のノーベル賞は10月4日時点ではまだ発表前のため、この記事では2025年までを扱います。

スポンサーリンク

日本人ノーベル賞を年代順に見るとどうなる?

日本人のノーベル賞史は、1949年の湯川秀樹による物理学賞受賞を出発点として考えると理解しやすくなります。

その後、物理学だけでなく文学、平和、化学、生理学・医学へと受賞分野が広がり、2000年代以降は自然科学分野で受賞が相次ぎました。

まずは、文部科学省などが「日本のノーベル賞受賞者」として紹介している範囲を参考に、2025年までを年代順に整理します。文部科学省の2026年の資料でも、南部陽一郎、中村修二、真鍋淑郎については注記を付けながら日本の受賞者の流れの中で扱っています。

受賞年 受賞者・団体 分野 主な受賞内容
1949年 湯川秀樹 物理学賞 核力に関する理論から中間子の存在を予想
1965年 朝永振一郎 物理学賞 量子電気力学の基礎的研究
1968年 川端康成 文学賞 日本文学の表現を世界に示した文学的功績
1973年 江崎玲於奈 物理学賞 半導体におけるトンネル現象の研究
1974年 佐藤栄作 平和賞 太平洋地域の安定への貢献など
1981年 福井謙一 化学賞 化学反応過程に関する理論
1987年 利根川進 生理学・医学賞 抗体の多様性を生む遺伝的原理の解明
1994年 大江健三郎 文学賞 現代人の状況を描いた文学的功績
2000年 白川英樹 化学賞 導電性高分子の発見と発展
2001年 野依良治 化学賞 キラル触媒による不斉反応
2002年 小柴昌俊 物理学賞 宇宙ニュートリノ検出への貢献
2002年 田中耕一 化学賞 生体高分子の質量分析法の開発
2008年 南部陽一郎 物理学賞 自発的対称性の破れの機構
2008年 小林誠 物理学賞 CP対称性の破れの起源を説明する理論
2008年 益川敏英 物理学賞 CP対称性の破れの起源を説明する理論
2008年 下村脩 化学賞 緑色蛍光タンパク質GFPの発見と開発
2010年 鈴木章 化学賞 有機合成におけるクロスカップリング
2010年 根岸英一 化学賞 有機合成におけるクロスカップリング
2012年 山中伸弥 生理学・医学賞 成熟細胞を多能性状態へ戻せることの発見
2014年 赤﨑勇 物理学賞 高効率青色LEDの発明
2014年 天野浩 物理学賞 高効率青色LEDの発明
2014年 中村修二 物理学賞 高効率青色LEDの発明
2015年 梶田隆章 物理学賞 ニュートリノ振動の発見
2015年 大村智 生理学・医学賞 寄生虫感染症の治療につながる発見
2016年 大隅良典 生理学・医学賞 オートファジーの仕組みの解明
2018年 本庶佑 生理学・医学賞 免疫の抑制を解除するがん治療原理の発見
2019年 吉野彰 化学賞 リチウムイオン電池の開発
2021年 真鍋淑郎 物理学賞 地球気候の物理的モデリング
2024年 日本原水爆被害者団体協議会 平和賞 核兵器廃絶と被爆証言を通じた活動
2025年 坂口志文 生理学・医学賞 末梢性免疫寛容に関する発見
2025年 北川進 化学賞 金属有機構造体(MOF)の開発

ここで最初に押さえておきたいのは、「日本人ノーベル賞受賞者を何人と数えるか」は、集計基準によって変わるという点です。

受賞時の国籍だけで数えるのか、日本生まれの研究者まで含めるのか、日本の団体も含めるのかによって一覧は同じになりません。

たとえば南部陽一郎、中村修二、真鍋淑郎は日本生まれですが、受賞時には米国籍でした。

また、2017年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは長崎生まれですが、5歳で英国へ移り、ノーベル賞公式資料でも英国の作家として紹介されています。そのため、一般的な「日本人受賞者一覧」には含めず、「日本生まれの受賞者」として別に扱うほうが混乱がありません。

人数だけを覚えるより、どの基準で数えた数字なのかを見ることが大切です。

私自身、年表を学ぶときには「何人いるか」よりも、誰がどこで学び、どのような研究環境で成果を積み重ねたかを見るほうが、ずっと理解が深まると感じます。


スポンサーリンク

1949年から1990年代まで|日本人ノーベル賞の出発点は?

日本人初のノーベル賞受賞者は、1949年の湯川秀樹です。

ノーベル賞公式サイトによると、湯川は核力に関する理論研究をもとに中間子の存在を予想したことにより、1949年のノーベル物理学賞を受賞しました。1934年には、核力を伝える粒子の質量を電子のおよそ200倍と予想していたと説明されています。

湯川が生まれたのは1907年ですから、受賞時は42歳でした。

第二次世界大戦の終結からわずか4年後の受賞です。戦後復興の途上にあった日本にとって、日本人研究者の理論が国際的に評価されたことは、科学界だけにとどまらない大きな出来事でした。

続く1965年には朝永振一郎が物理学賞を受賞します。

湯川と朝永が続いたことから、日本のノーベル賞史の出発点には、すぐ製品になる技術というより、自然の仕組みそのものを理解しようとする理論物理学があったことが分かります。

1968年には科学分野以外から初の受賞者が生まれます。

川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞しました。

『雪国』『古都』『千羽鶴』などで知られる川端の受賞によって、日本文化や文学表現もまた世界的な評価の対象となることが示されました。

1973年には江崎玲於奈がノーベル物理学賞を受賞します。

半導体中のトンネル現象に関する研究が評価されたもので、後に「江崎ダイオード」と呼ばれる技術にもつながりました。

翌1974年には元首相の佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞しました。

ここは表現を少し丁寧にしておきたいところです。

ノーベル賞公式サイトでは、佐藤の受賞理由を、太平洋地域の安定への貢献と核拡散防止条約への署名に関する功績として説明しています。授賞演説では、非核政策や国際協力、沖縄返還を平和的交渉で進めた点などにも言及されています。

単に「非核三原則だけで受賞した」と覚えるより、戦後日本の外交と核兵器をめぐる姿勢を広く評価された受賞として捉えるほうが正確です。

1981年には福井謙一が日本人初のノーベル化学賞を受賞しました。

化学反応がなぜ特定の方向へ進むのかを電子の状態から説明する理論研究が評価されたものです。

1987年には利根川進が日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

私たちの体が、限られた遺伝情報から非常に多様な抗体を作り出せる仕組みを解明した研究です。

1994年には大江健三郎が文学賞を受賞します。

こうして1949年から1990年代までを並べると、物理学から文学、平和、化学、生命科学へと受賞分野が一段ずつ増えていったことが分かります。

一本の木にたとえるなら、1949年に伸び始めた幹から、20世紀後半にかけて複数の枝が伸び始めた時期といえるでしょう。

重要なのは、受賞年だけを見て「その年に突然成果が生まれた」と考えないことです。ノーベル賞の多くは、何年、場合によっては何十年も前の研究が、その後の科学や社会への影響まで含めて評価されています。


スポンサーリンク

2000年代に日本人ノーベル賞が増えたのはなぜ?

日本人ノーベル賞の年表で、大きな変化が見えてくるのが2000年代です。

2000年に白川英樹、2001年に野依良治、2002年には小柴昌俊と田中耕一が受賞し、わずか3年間で4人の受賞者が出ました。

白川英樹は、電気を通す高分子である導電性高分子の研究で化学賞を受賞しました。

野依良治は、分子の左右の形を選び分けて作る不斉合成に関する研究によって化学賞を受賞します。

2002年の小柴昌俊は、巨大な観測装置を使って宇宙から飛来するニュートリノを捉え、ニュートリノ天文学の発展に貢献しました。

同じ2002年の田中耕一は、生体高分子を分析する質量分析技術の発展に貢献し、化学賞を受賞しました。

田中は島津製作所の技術者でした。

ノーベル賞というと大学教授の世界を想像しがちですが、日本の受賞史を見ると企業研究者の存在が少なくありません。

2008年には、日本にゆかりの深い受賞者が一度に4人登場します。

物理学賞では南部陽一郎、小林誠、益川敏英が受賞し、化学賞では下村脩が受賞しました。

南部の「自発的対称性の破れ」という考え方は、素粒子物理学の重要な基盤となりました。

小林誠と益川敏英は、素粒子の世界で物質と反物質の性質が完全には同じではないことを説明する理論を構築しました。

下村脩が研究した緑色蛍光タンパク質GFPは、生命科学の研究現場を大きく変えました。

細胞の中の特定のタンパク質を光らせ、その動きを観察できるようになったためです。

2010年には鈴木章と根岸英一が化学賞を受賞します。

二人の研究で知られるクロスカップリングは、異なる有機分子を結びつける技術で、医薬品や電子材料など幅広い分野の合成に利用されてきました。

では、なぜ2000年代に入って受賞が急に増えたように見えるのでしょうか。

ここで注意したいのは、2000年代になって突然優れた研究が始まったわけではないという点です。

多くの研究は数十年前に始まっています。

研究成果が追試によって確かめられ、別の研究に利用され、世界への影響が見えるようになった後でノーベル賞に結びつくことが少なくありません。

年表上の「受賞年」と、研究が始まった「発見の年」を分けて考えると、日本人ノーベル賞の見え方はかなり変わります。

これは、年表を読むうえでぜひ覚えておきたい視点です。


スポンサーリンク

2010年代は医学・物理・化学で何が評価された?

2010年代には、日本人受賞者の研究分野がさらに多様になります。

2012年に生理学・医学賞を受賞したのが山中伸弥です。

成熟した細胞を初期化し、さまざまな細胞になれる多能性を持たせられることを示した研究が評価されました。

iPS細胞は再生医療との関係で知られていますが、根本には「一度成熟した細胞の運命は元に戻せないのか」という生命科学の大きな問いがあります。

2014年には赤﨑勇、天野浩、中村修二がノーベル物理学賞を共同受賞しました。

受賞理由は、高効率な青色発光ダイオード、青色LEDの発明です。

青色LEDは長く実現が難しいとされていました。

青色が実用的な明るさで発光できるようになったことで、赤・緑・青を組み合わせた白色光源を作りやすくなり、省エネルギー型照明の普及につながりました。

ノーベル賞公式サイトによると、中村修二は徳島大学で学んだ後、日亜化学工業で研究を進め、そこでノーベル賞につながる研究を行っています。

2015年には二つの分野で日本人が受賞しました。

梶田隆章は、ニュートリノが飛行中に種類を変える「ニュートリノ振動」を観測し、ニュートリノが質量を持つことを示した研究で物理学賞を受賞しました。

大村智は、微生物が作り出す物質に着目した研究から、寄生虫による感染症の治療につながる成果を生み、生理学・医学賞を受賞しています。

2016年には大隅良典が生理学・医学賞を受賞しました。

細胞が自身の構成物を分解し、再利用する「オートファジー」の仕組みを明らかにしたことが評価されました。

2018年には本庶佑が生理学・医学賞を受賞します。

免疫細胞の働きを抑える仕組みに注目し、そのブレーキを外すことで免疫の力をがん治療に生かす道を開いた研究です。

2019年には吉野彰が化学賞を受賞しました。

リチウムイオン電池の開発により、携帯電話やパソコンだけでなく、電気自動車や蓄電設備など、現在の社会基盤にも大きな影響を与えています。

ここまでを見ると、日本のノーベル賞は大学研究だけで成立したものではないことが分かります。

江崎玲於奈、田中耕一、中村修二、吉野彰など、企業を研究の場として重要な成果を生み出した人もいます。

基礎研究と企業での技術開発が別々の世界ではなく、互いに科学技術を支えてきたことは、日本人ノーベル賞の歴史を読む際の重要なポイントです。


スポンサーリンク

2021年から2025年まで|気候・平和・免疫・新材料へどう広がった?

2020年代に入ると、日本に関係する受賞テーマは地球規模の気候問題から核兵器、免疫、新材料までさらに広がります。

2021年には、日本生まれの真鍋淑郎がノーベル物理学賞を受賞しました。

ノーベル賞公式サイトによると、真鍋は大気中の二酸化炭素濃度が上がると地表温度が上昇することを物理モデルで示し、1960年代から地球気候のモデル化を進めました。現在の気候モデルにつながる基礎を築いた研究です。

1949年の湯川秀樹が原子核という非常に小さな世界を扱ったのに対し、真鍋の研究対象は地球規模の気候です。

同じ物理学賞の中でも、対象の大きさが原子核から地球へ広がっていることに、現代物理学の幅の広さを感じます。

2024年には、日本原水爆被害者団体協議会、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。

ノルウェー・ノーベル委員会は、日本被団協が核兵器のない世界を目指して活動し、被爆者の証言を通して核兵器が二度と使用されてはならないことを示してきた点を受賞理由としています。

日本被団協は1956年に結成されました。

被爆者自身の経験を証言として伝え、国連や国際会議でも核兵器廃絶を訴えてきました。

日本人のノーベル賞史というと研究者の名前が中心になりがちですが、2024年は個人ではなく市民運動を担う団体の長期的活動が評価された年として大きな意味があります。

1949年の湯川秀樹の受賞から75年後に、戦争と核兵器の記憶を伝え続けた団体が平和賞を受けたことも印象的です。

※画像はAIによるイメージ

そして2025年には、再び二つの自然科学分野から日本人受賞者が出ました。

坂口志文は、Mary E. Brunkow、Fred Ramsdellとともにノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

受賞理由は「末梢性免疫寛容に関する発見」です。

ノーベル賞公式発表によると、坂口は1995年、免疫反応を抑える働きを持つ制御性T細胞を見いだしました。

免疫は病原体を排除するために欠かせませんが、働き方を誤れば自分自身の組織まで攻撃します。

制御性T細胞は、その暴走を防ぐ「警備役」のような存在です。

その後、BrunkowとRamsdellが自己免疫疾患に関わる遺伝子変異を突き止め、坂口はその遺伝子が制御性T細胞の発達を制御することを示しました。三者の研究によって、末梢で免疫反応を抑える仕組みの理解が大きく進んだのです。

ここは「坂口志文が単独で制御性T細胞研究により受賞した」と単純化しすぎないほうがよいでしょう。

2025年の生理学・医学賞は三人の共同受賞であり、それぞれの発見がつながって末梢性免疫寛容の仕組みが明らかになった点が大切です。

同じ2025年、北川進はRichard Robson、Omar M. Yaghiとともにノーベル化学賞を受賞しました。

受賞理由は金属有機構造体、MOFの開発です。

MOFは、金属イオンと有機分子を組み合わせ、内部に非常に多くの空間を持たせた結晶性材料です。

ノーベル賞公式発表では、Robsonが1989年に先駆的な構造を作り、北川とYaghiが1990年代から2000年代初めにかけて、より実用性につながる安定性や柔軟性を持つMOFの発展に重要な役割を果たしたと説明されています。

MOFは、物質を内部に取り込めることが特徴です。

二酸化炭素の回収、水の少ない地域で空気から水を集める技術、特定物質の分離、化学反応の促進など、さまざまな応用が研究されています。

ただし、ここでも注意が必要です。

「北川進がMOFを一人で発明した」という理解では正確ではありません。

2025年の化学賞は、Robson、北川、Yaghiの三人による長年の貢献を評価した共同受賞です。

私は、この二つの2025年受賞に共通するものを感じます。

一つは免疫の均衡を保つ仕組み、もう一つは分子を組み合わせて空間を設計する仕組みです。

対象はまるで違いますが、どちらも目に見えない構造や規則を基礎から明らかにし、その理解が後に医療や環境などの応用へつながっていく研究なのです。

文部科学省も2026年版の科学技術・イノベーション白書で、坂口志文と北川進の研究はいずれも1990年代に始まった基礎研究であり、その後、企業との共同研究や社会実装へ発展してきたと整理しています。

受賞年だけを見るより、「研究開始から評価まで約30年」という時間軸を見るほうが、ノーベル賞の本質に近づけるように思います。


スポンサーリンク

日本人ノーベル賞の年表から見える3つの特徴とは?

日本人ノーベル賞を年代順に眺めると、少なくとも三つの特徴が浮かびます。

第一は、基礎研究の比重が大きいことです。

湯川秀樹の中間子理論、朝永振一郎の量子電気力学、小林誠・益川敏英の素粒子理論、梶田隆章のニュートリノ研究などは、「すぐに製品になるものを作る」という研究ではありません。

自然界がなぜそのように成り立っているのかを問う研究です。

北川進のMOFや坂口志文の制御性T細胞も、今日では環境技術や医療への応用が期待されていますが、出発点は基礎的な問いでした。

第二は、受賞までの時間が長いことです。

ノーベル賞の一覧は「1949年」「2008年」「2025年」と受賞年だけが並ぶため、その年に研究成果が完成したように見えます。

しかし実際には、発見から受賞まで何十年もかかることがあります。

2025年の坂口志文の重要な発見は1995年、北川進がMOFにつながる研究を進めたのも1990年代です。文部科学省も両氏の研究について「1990年代に始まった基礎研究」と位置づけています。

この点を知ると、「2000年代になって日本の研究力が急に高まった」という単純な見方はできなくなります。

むしろ、20世紀後半に積み重ねられた研究が21世紀になって次々と評価された、と考えたほうが自然です。

第三は、研究の場所が日本国内だけではないことです。

南部陽一郎や真鍋淑郎のように、日本で生まれ学んだ後、米国を主な研究拠点として大きな成果を残した研究者がいます。

一方で、田中耕一や吉野彰のように企業の研究現場から成果を生み出した人もいます。

研究を「日本の大学だけの成果」と考えると、本当の姿が見えにくくなります。

人が移動し、知識が国境を越え、大学と企業が違う役割を担いながら、一つの成果が育っていく。

私は、この見方こそ日本人ノーベル賞の年表を読むうえで大切だと考えています。

文部科学省の資料では、21世紀の自然科学系3賞について、日本の受賞者は2001年から2025年までで21人と整理されています。米国に次ぐ水準で、英国と並ぶ数字です。

ただし、過去の受賞実績がそのまま未来を保証するわけではありません。

ノーベル賞は、多くの場合、長期的な研究投資の「遅れて届く結果」です。

今日の研究環境がどうなっているかは、10年後、20年後の受賞や技術革新に影響してくる可能性があります。


スポンサーリンク

年代順だから見える日本のノーベル賞の意味を考える

ここからは、年表を通して私が感じたことを少し述べます。

1949年の湯川秀樹から2025年の坂口志文、北川進までを一本の時間軸に置くと、受賞テーマの幅広さに驚かされます。

中間子、量子電気力学、半導体、化学反応、抗体、導電性高分子、ニュートリノ、GFP、iPS細胞、青色LED、オートファジー、免疫、リチウムイオン電池、気候モデル、MOF。

そこに川端康成と大江健三郎の文学、佐藤栄作と日本被団協の平和賞が加わります。

一見すれば、ばらばらの出来事です。

しかし年代順に見ると、一つの共通点が浮かびます。

それは、短期的な成果だけでは測れない仕事が、長い時間を経て大きな価値を持っていることです。

研究というものは、始めた時点で将来の用途がすべて見えるわけではありません。

GFPが今日の生命科学でこれほど重要な道具になることも、リチウムイオン電池が携帯端末から電気自動車まで社会を支えることも、研究の初期段階ですべて予測できたわけではないでしょう。

私自身、長く行政の仕事や生涯学習に関わってきましたが、この点には大人の学びと共通するものを感じます。

読んだ本の内容が、その日に役立たなくても、数年後に別の知識と結びつくことがあります。

弓道でも、一度聞いた教えがすぐ身につかず、何度も基本を繰り返した後に、ふと意味が分かる瞬間があります。

もちろん、ノーベル賞級の研究と個人の学びを同列に扱うことはできません。

それでも、価値ある学びには時間が必要な場合があるという点は共通しています。

もう一つ、年代順にして初めて見えやすくなるのが「評価される価値の広がり」です。

1949年の物理学から始まり、1968年に文学、1974年に平和、1981年に化学、1987年に生理学・医学へと広がりました。

2024年には、日本被団協という団体の証言活動が平和賞を受賞しました。

科学的発見だけではありません。

文学によって人間を描くことも、戦争の記憶を次の世代へ伝えることも、人類にとって価値ある営みとして同じノーベル賞の歴史に並んでいます。

これは、日本のノーベル賞史を「科学技術立国の成功物語」だけで語ると見落としやすいところです。

私はむしろ、科学、文化、平和という性格の違う営みが同じ年表の上に並んでいることにこそ、ノーベル賞を学ぶおもしろさがあると感じています。

一方で、今後を考える際には受賞者数だけに一喜一憂しないことも大切でしょう。

2026年10月4日時点では、2026年の各賞はまだ発表されていません。

また、日本人のノーベル経済学賞受賞者はこれまで出ておらず、受賞時に日本国籍だった女性のノーベル賞受賞者もまだ現れていません。

ただし、未来の研究成果を考えるときに本当に問うべきなのは「次に誰が受賞するか」だけではないと私は思います。

若い研究者が長期的なテーマに挑戦できるか。

失敗しても研究を続けられるか。

基礎研究と応用研究の両方を支えられるか。

海外との人材交流を保てるか。

こうした土壌があって初めて、10年後、20年後の成果につながるのでしょう。

ノーベル賞は研究の目的ではなく、長い探究の末に現れる一つの結果です。

受賞者の名前だけを覚えるより、なぜその研究が始まり、どれほどの時間をかけて価値が確かめられたのかを見ることが、年表を学ぶ本当の意味ではないでしょうか。


スポンサーリンク

まとめ|日本人ノーベル賞の歩みは1949年から2025年までどう続いた?

日本人ノーベル賞の出発点は、1949年に物理学賞を受賞した湯川秀樹です。

その後、朝永振一郎、川端康成、江崎玲於奈、佐藤栄作、福井謙一、利根川進、大江健三郎らが続き、2000年代以降は自然科学分野を中心に受賞者が相次ぎました。

2010年代には山中伸弥、赤﨑勇、天野浩、中村修二、梶田隆章、大村智、大隅良典、本庶佑、吉野彰らが受賞しています。

2021年には真鍋淑郎、2024年には日本被団協が平和賞を受賞しました。

そして2025年には、坂口志文がMary E. Brunkow、Fred Ramsdellとともに生理学・医学賞を、北川進がRichard Robson、Omar M. Yaghiとともに化学賞を受賞しました。

年代順に見ると、日本の受賞史は物理学を出発点として、化学、生命科学、文学、平和、気候、新材料へと広がってきた歴史だと分かります。

同時に、多くの受賞が、受賞年より何十年も前に始められた地道な研究の積み重ねから生まれていることも見逃せません。

名前と年号だけを暗記するのではなく、「その時代にどんな問いがあり、その人は何を明らかにしたのか」という視点で年表を眺めてみてください。

一つひとつの受賞が孤立した出来事ではなく、前の世代から次の世代へと知識が受け渡されていく長い流れとして見えてくるはずです。


スポンサーリンク

よくある質問

日本人で最初にノーベル賞を受賞したのは誰ですか?

湯川秀樹です。

1949年、核力に関する理論研究から中間子の存在を予想した功績によってノーベル物理学賞を受賞しました。ノーベル賞公式サイトでも、日本の受賞史を語るうえで最初の重要な人物として確認できます。

日本人のノーベル賞受賞が増えたのはいつ頃ですか?

特に目立つようになるのは2000年代以降です。

2000年の白川英樹、2001年の野依良治、2002年の小柴昌俊・田中耕一、2008年の南部陽一郎・小林誠・益川敏英・下村脩など、比較的短い期間に受賞が続きました。

ただし、受賞対象となった研究の多くは、それより何年、何十年も前から進められていました。「受賞が増えた時期」と「研究成果が生まれた時期」は分けて考える必要があります。

2025年にノーベル賞を受賞した日本人は誰ですか?

2025年は、坂口志文がノーベル生理学・医学賞、北川進がノーベル化学賞を受賞しました。

坂口志文はMary E. Brunkow、Fred Ramsdellとともに末梢性免疫寛容に関する発見で受賞し、北川進はRichard Robson、Omar M. Yaghiとともに金属有機構造体(MOF)の開発で受賞しています。

執筆:天水健太郎

コメント

タイトルとURLをコピーしました