最後の女帝後桜町天皇が誕生した時の状況を現代の皇室に置き換えてみると
現代の皇室は未曽有の危機と言われています。ご承知のように現在の皇室典範によれば、皇位継承の第1順位は秋篠宮文仁親王、第2順位は悠仁親王、第3順位は常陸宮正仁親王の3名だけとなっています。
このうち常陸宮正仁親王は1935年生まれですから既に85歳の高齢になっております。このなため、皇位継承の問題が議論されているわけです。
そして、巷では愛子様の待望論も出てきておりますが。現在の皇室典範では制度上不可能なわけです。しかし、明治政府が誕生するまでは、男系であれば女性天皇も認められておりました。
そんな中、最後の女帝と言われている後桜町天皇の頃の状況を現代に見立ててみてみると、分かり易いので、解説していきたいと思います。
後桜町天皇が即位した状況とその後の皇室の危機はどのようだったか
今から260年も前の時代になります。延享4年(1747年)に桜町天皇から譲位された桃園天皇が即位します。桃園天皇は正妻の子ではありませんでした。正妻には男子がおらず、智子内親王がいただけです。幼い天皇ではありましたが、即位することになります。
桃園天皇の崩御から智子内親王が後桜町天皇として即位する
しかし、桃園天皇はそれから15年後に22歳で亡くなってしまいます。桃園天皇には英仁親王がいましたが、まだ5歳でもあることから。桃園天皇の義理の姉である智子内親王が即位し後桜町天皇となります。宝暦12年(1762年)のことです。
後桜町天皇が譲位して甥の英仁親王が即位し後桃園天皇となる
後桜町天皇は在位9年の後、明和7年(1771年)に桃園天皇の子である英仁親王に譲位し後桃園天皇となります。これで後桜町天皇は上皇となります。これで、やれやれと言ったところです。
後桃園天皇の崩御により皇室最大の危機となる
ところがとんでもないことが起こります。8年後に後桃園天皇が亡くなってしまうのです。しかも今度は親王がいない状態で、皇統が途絶えてしまいます。
そこで、相談の上出てきたのが、次の案だったのです。
後桜町天皇の父である桜町天皇、その父である中御門天皇までさかのぼり、その弟の閑院宮直仁親王の子である典仁親王の子である光格天皇が即位することになります。
そして、この光格天皇の家系が現代まで続いているのです。ちなみに光格天皇の子は仁孝天皇その子が孝明天皇、そして明治天皇に連なるのです。
113東山天皇
114中御門天皇 ← 兄弟 → 閑院宮直仁親王
115桜町天皇 典仁親王
117後桜町天皇←兄弟→116桃園天皇 美仁親王← 兄弟 →119光格天皇
118後桃園天皇 120仁孝天皇
121孝明天皇
122明治天皇
後桜町上皇の下、後桃園天皇から光格天皇に皇位が移ったのはどのくらいの開きがあったのか
第113代の東山天皇を昭和天皇に見立てた構図を描いてみます。
昭和天皇←兄弟→秩父宮雍仁親王 高松宮宣仁親王 三笠宮崇仁親王
平成天皇←兄弟→常陸宮正仁親王
令和天皇←兄弟→秋篠宮文仁親王
愛子内親王 悠仁親王
愛子内親王は現行の皇室典範では即位できませんが、江戸時代であれば即位も可能でした。それでも男系でも女性天皇が即位するにはそれなりに理由が必要だったのです。
やはり現在の状態が江戸時代であっても秋篠宮文人親王が次の天皇に即位したことでしょう。
それでは、ご不満の人もいらっしゃるようですので、愛子内親王を後桜町天皇と想定すると常陸宮正仁親王が閑院宮直仁親王と見立てられます。その孫にあたる方に皇位が継承されたのです。
江戸時代の皇統が絶えそうになったことは、長い皇室の歴史の中でも3つの指に入る危機だそうです。でもこうしてみてみればさほどビックリするほどの開きがあったわけでなさそうです。
でも、残念なことに常陸宮正仁親王にはお子様がいなかったので、光格天皇にあたる方はでてきません。でも、我々の世代には、もっと近い系統の秋篠宮文仁親王と悠仁親王がおられるのです。
江戸時代も同じですが、戦前と違って現在は一夫一婦性ですので、それなりに心配なされる人も多いのでしょう。そんな様子から、皇室の系統をご覧いただければ幸いです。
なお、三笠宮崇仁親王には三名の親王がおられましたが、三名とも男子には恵まれておりません。
最後の女帝後桜町天皇の状況を現代に置き換えてみるとのまとめ
皇位継承の問題がいろいろ取りざたされています。原因は現在の皇室典範では皇位継承権がある方が3名しかいないことが原因です。しかもお一人はご高齢ですので、実質は2人しかいないことになります。
しかし、現代の世の中で、伝統とは言え男系だけに限るとした皇室典範の規定が合わないのではないかという議論もあります。
しかし確かに過去1500年以上存続して系統には女性天皇はいましたが、男系の女性天皇しかいなかったという事実もあります。百歩譲るとすると男系の女性天皇を認めるべきという人もいるでしょう。
しかしながら、これを認めても、今ある不安の解消にはならないかもしれません。私にも確たる考えがあるわけではありませんが、この議論の生末を考えたいと思います。
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