1970年11月25日、作家・三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決を遂げた事件は、戦後日本における思想的事件の象徴といえるものでした。『三島事件』として知られるこの出来事は、文学、政治、軍事、そして日本人の精神性に深く関わるものであり、今なお議論を呼び続けています。
2025年は、三島由紀夫生誕100年の節目の年にあたります。この記念の年にあらためて彼の思想と行動を見つめ直すことは、現代の日本における「国家とは何か」「精神とは何か」を問い直すことでもあります。
本記事では、事件の詳細な流れを振り返るとともに、三島がこの行動に至った背景、演説と遺言に込められた思想、現代に問われる問題点を掘り下げていきます。
市ヶ谷駐屯地で起きた三島事件の概要
自衛隊幹部への面会から人質事件へ
1970年11月25日午前11時ごろ、三島由紀夫は自身が率いる民間防衛組織『盾の会』のメンバー4人とともに、東京都新宿区にある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問します。彼らは東部方面総監・益田兼利陸将に面会を求め、親交があったこともあり、難なく総監室に通されます。
しかし、面会後、三島らは突如益田総監を拘束。室内を封鎖し、事実上の人質事件へと発展しました。三島は要求書を提示し、次のような条件を突きつけました:
- 自衛官を本館前に集合させる
- 三島の演説を実施させる
- 盾の会メンバーの立ち会いを許可する
- 約2時間の間、妨害しないこと
現場には警察、報道陣、機動隊も集結し、緊張感は頂点に達しました。益田総監は一時的に命の危険にさらされ、盾の会メンバーとの物理的な小競り合いも発生しています。
演説と割腹自決
12時過ぎ、三島はバルコニーから自衛官約1,000名に向けて演説を行います。内容は「憲法改正による真の自衛隊の成立」を訴えるものでしたが、怒号と報道ヘリの騒音により聞き取れなかった隊員も多かったとされます。
演説は約10分。三島は日本の防衛の根幹が形式上の憲法第9条によって骨抜きにされていることを訴え、武力を持ちながらも「違憲」とされる自衛隊の存在に対して、憲法改正を強く促すものでした。
演説終了後、三島は総監室に戻り、赤い絨毯の上で正座。短刀で腹を切り、盾の会の森田必勝が介錯を試みます。数度の失敗の末、古賀浩靖が介錯を務め、森田自身も三島の隣で自決し、古賀が再び介錯します。
三島由紀夫が事件で訴えたかったもの
『檄』に込められた思想と怒り
事件当日、三島が撒布した文書『檄』には、自衛隊と国家のあり方への根本的な問いが綴られていました。その主張は以下のように要約できます:
- 自衛隊は違憲でありながら存在する矛盾を抱えている
- 政治によって人事・財政を支配され、自立性が失われている
- 国体を守るはずの自衛隊が、逆にそれを否定する現行憲法を擁護している
- 警察力だけで国家秩序を維持できるという幻想に陥っている
彼は、自衛隊が「魂なき存在」に成り果てることを恐れており、命をかけてでも日本の伝統と精神を守るべきだと訴えました。最終的には、「生命尊重だけでは国家を守れない。日本の精神を守る軍隊を作るべきだ」という結論に至ります。
辞世の句に込められた決意
三島の辞世の句「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに…」には、武士としての覚悟と美学が凝縮されており、森田必勝の辞世もまた、その決意と共鳴する内容でした。彼らの死は単なる過激な行動ではなく、思想と行動が一体となった一種の精神的パフォーマンスとも言えるでしょう。
日本の伝統、武士道、天皇、国体――これらの概念を一身に背負いながら、「生きて思想を叫ぶ」ことよりも、「死をもって思想を体現する」ことを選んだ三島の行動は、世界の文学史においても類例のないものでした。
事件の社会的影響と評価
陸将・益田兼利と政治の関与
益田総監はこの事件の責任を取って辞職。後に語られるエピソードとして、防衛庁長官(当時)中曽根康弘が「君はもう将官としての地位を極めた。私には将来がある」と語り、辞任を促したとされます。これもまた、政治が軍をどう扱うかを示す一幕でした。
盾の会メンバーの裁判と処罰
事件後、残されたメンバーは警察に拘束され、4年の実刑判決を受けます。反社会的行動であった一方、その精神性の高さや動機の純粋さも一部では評価されており、裁判結果に対しては重すぎるとの声も存在しました。
事件への世間の反応とその後の風化
事件当時のマスコミや知識人からは「暴挙」「常軌を逸した行動」と断罪されましたが、時代が進むにつれ、三島の訴えた思想の本質を評価しようとする声も増えています。文学者としての三島の名声とは別に、政治的思想家・行動者としての評価も再検討されつつあります。
現代に生きる三島の問いかけ
国家とは何か?軍隊とは何のために存在するのか?
三島の訴えは、「日本は日本であり続けるべきか?」という問いに収束します。グローバル化・経済優先・憲法改正の議論が再燃する今、三島の問いかけは決して過去のものではありません。
三島の行動を「過激な思想家の末路」と片付けるのは簡単です。しかしその裏には、現代社会における政治と精神の乖離に対する根本的な問題提起があります。
行動と思想の一致という美学
三島の行動は、多くの人にとって理解しがたいものだったかもしれません。しかし、言葉だけでなく、命を懸けて思想を体現したという点において、現代の政治家や評論家が持ち得ない一貫性がありました。
2025年、三島の生誕100年という節目に立つ今、私たちは彼の残した言葉と行動を、より冷静かつ誠実に読み解き直すべきではないでしょうか。
まとめ|三島由紀夫事件の再評価と現代への示唆
三島由紀夫事件は、単なる政治テロでも暴挙でもありません。彼が遺した思想、そしてそれを支えた文学と武士道精神の融合は、現代日本にとっても無視できないメッセージを含んでいます。
憲法、安全保障、自衛隊の存在意義、そして日本人の精神文化――。これらのテーマを改めて考える機会として、三島事件は語り継がれるべきものなのです。
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