根本博、元陸軍中将が国民党を救うために台湾に渡った理由は?

歴史人物

根本博、元陸軍中将は、戦後の昭和24年、中国内で起こった国共内戦で台湾に撤退した国民党を支援するため、台湾に密入国をします。

そして、国民党の顧問として人民解放軍と戦い、金門島を守ったといわれています。そこまでして根本博が台湾、国民党、又は蒋介石を守るべき理由はどこにあったのでしょう。

また、どのようなつながりがこれを起こしたかを解説いていきます。

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昭和24年の金門島決戦で根本博はどのように働いたか

昭和24年6月、根本博は家族には釣りに行くといったきり、東京都町田市の自宅を出て、宮崎県から仲間とともに台湾に密航します。

台湾に到着後、密航者として投獄されますが、報告が国民党の上層部に上がり、やがて迎えられます。

8月には蒋介石とも面会し、中華民国軍に顧問として任命されます。そして状況を視察し、厦門を放棄し大陸から僅か3kmにある金門島を拠点として防衛計画を設立します。

海岸に地雷とトーチカの建設が始まります。

戦闘は10月25日~27日の三日間続きました。その間の損害は、中華民国1,267名、人民解放軍3,873名となり、人民解放軍側は金門島の奪取が不可能となりました。

このため、台湾海峡については、中華民国が制空権、制海権を維持することになりました。国共内戦以来国民党軍としては久々の勝利となり、同時に台湾への人民解放軍の進行が不可能となったものです。

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根本博が昭和24年に台湾に渡った理由は

根本博が昭和24年に中国の国共内戦をみて、台湾に撤退した国民党、蒋介石を支援するために渡った理由は、その4年前の日本の敗戦時の状況によるものです。

根本博の昭和20年8月15日以降の状況

当時、根本博は駐蒙軍司令官として中国の内モンゴル地区におりました。日本は8月15日をもってポツダム宣言を受諾しましたので、対中国政府に対しては武装解除する必要が出てきました。

しかしながら困ったのはソ連の動きです。8月9日の対日宣戦布告以来侵攻を進めております。日本が武装放棄をしても戦闘を止める様子も見られません。

根本博の決断はどのようなものだったのでしょうか

そのなかで軍人として何をすべきかについて悩みます。その時の結論は、停戦交渉に応じない相手には、断固として排除する。守るべきものは居留民4万人と部隊将兵である。

そのためには、侵入者を撃滅し、最後は自分が責任をとればよいということです。

このため、居留民4万人を列車に乗せて線路と守り抜き、ソ連軍と戦闘をしつつ、万里の長城までたどり着きます。8月20日から撤退が始まり、8月27日には撤退が完了します。

居留民はその後3日かけて天津に脱出し、引き揚げ船に乗ることができました。

他の地域と比較しても状況は違うかもしれませんが、居留民に情報が行き渡らず、また、居留民が状況を察知できず、そのまま現地に残ってしまい、多くの悲劇が生まれています。

また、部隊にしても武装解除を速めてため、被害が大きくなったこともありました。こんなことから、その状況判断と本質的な自分の役割を認識することがいかに大切かということです。

蒋介石、国民党との関係はどのようだったか

根本博は8月19日からは北支那方面軍司令官も兼任しています。また翌年8月には在留邦人の帰還と将兵の復員が終了し、帰国することになります。

蒋介石は日本の引き上げにはきわめて協力的で、また、戦後賠償についても理解を示していました。

一般に中国の軍人の中には日本で教育を受けたものも多く、また、蒋介石自体も辛亥革命の時期には日本に滞在したことも多くあり、そんな関係で、関係を深めていたと推測されています。

そんなことから、根本自身も蒋介石に格別な恩義を感じていたものと推測されます。

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根本博が台湾に渡るのに尽力した人は誰だったのか

昭和24年、根本博に台湾密航を勧め、その資金調達をしたのが、明石元長といわれています。この方は、明石元二郎の長男として生まれた方です。

明石元二郎と言っても実は知らない方もいらっしゃると思いますが、明石大佐という言葉は聞いたことがあると思います。日露戦争の時に欧州を拠点にロシアへの諜報活動を行い、ロシア革命の引き金にもなったといわれています。諜報の神様とも言われていました。

日露戦争が終わって、最後に台湾総督に就任しており在任中に亡くなりました。

明石元長は父親の明石元二郎とともに台湾に渡り、その後貴族院議員にも選出されております。台湾留学生の援助団体も作り何かと縁が深い方でした。

しかし、明石元長は根本博を延岡から送り出した後、過労のため急死しております。事情はよく分かりませんが大変だったのでしょう。

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根本博、元陸軍中将は国民党を救うために台湾に渡った理由は?のまとめ

根本博はその後昭和27年に帰国します。一説では、家を出るときと同じように、釣竿をもって家に帰ってきたとも言われています。

根本博元陸軍中将がわざわざ昭和24年に台湾に渡って、台湾進攻も危ぶまれる戦況の中で、蒋介石と国民党に恩返しをしたのは、このような理由でした。

しかし、それを実行する前提として、終戦時の軍隊の役割を原点に帰って、たとえ武装解除に応じないことで叱責されたとしても、在留日本人と部隊を守るために全力を尽くしたことは大切な判断でした。

終戦時の混乱はあちらこちらで起こっています。こんな時こそ上に立つものがしっかり判断することは大切な事例です。

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