連合艦隊司令長官山本五十六大将の業績を評価すると

歴史人物

太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官であった山本五十六は、今でも同時代の軍人の中でも群を抜いて人気の高い人となっております。その人気は今でも変わることがありません。

この人気の秘密は、戦争の引き金になったハワイ真珠湾攻撃の発案者であり実施者であることかと考えます。また日米開戦と三国同盟に反対したことなどが好印象を与えております。

このような山本五十六大将の業績と評価を振り返ります。

スポンサーリンク

連合艦隊司令長官山本五十六大将の業績は

山本五十六が行った業績の中で主なものを挙げてみたいと思います。

ハワイ真珠湾攻撃

これが第一の業績と挙げられる方が多いでしょう。航空母艦からの航空機による空襲により、アメリカ太平洋艦隊の戦艦群をほとんど沈めたのですから。

マレー沖海戦

イギリス東洋艦隊の戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを基地からの航空攻撃で沈没させています。

ミッドウェー海戦

ハワイ途中にあるミッドウェー島を攻撃しようとして、逆に日本の航空母艦4隻を失い、事実上太平洋戦争の分岐点となる敗退を喫した戦いです。

日本の航空部隊育成の貢献

昭和5年(1930年)に航空本部技術部長についてからは、一貫して日本海軍航空部隊の発展に尽力したと言われています。

このため、太平洋戦争初頭の段階では、日本は航空母艦も合わせれば、最強の航空部隊を有していたともいえるでしょう。まだ、航空機戦力の評価も定まる前ですから。

日独伊三国軍事同盟及び日米開戦に反対

1919年~21年まで米国ハーバード大学に留学するとともにアメリカで視察しています。

また、1925年~28年までは大使館付き駐在武官として着任しており、アメリカと日本の国力、国情の差を誰よりも知っていたと言われています。

このため、アメリカとの戦争を回避するための活動を一貫して行っています。日独伊三国軍事同盟についてもこの筋から反対しています。

連合艦隊司令長官になったこと

海軍軍人の最高峰にある連合艦隊司令長官なる人は凡庸な人ではないでしょうから。このことを評価する方も多いでしょう。それぞれのポジションでしっかり働いてきたから、この集積があるのです。

歴史人物一覧の第二次世界大戦はここをクリック

スポンサーリンク

連合艦隊司令長官山本五十六大将の業績を評価すると

このように特徴的な業績について賛否いろいろあり、各方面から意見が出ているでしょうが、あえてこの業績評価をしていきたいと思います。

最後の連合艦隊司令長官になったことは省きます。会社の人事みたいですから。

ハワイ真珠湾攻撃、マレー沖海戦、ミッドウェー海戦

山本五十六大将の業績を見ていくと、これがすべて航空機による戦いであることに特徴があります。

後世の人間から見たら何を言っているのだということになりますが、この開戦当初は航空機による攻撃については主流ではありません。

日本は日中戦争で航空機による爆撃を行っておりますが、戦果は限られておりますし、損害も相当あったようです。

逆の立場で見ていくと、例えばマレー沖海戦を見ていればわかるでしょう。

先進国イギリスでも、その前の経験としては、1940年11月のタラント空襲航空母艦に搭載の爆撃機、雷撃機で軍港を空襲した経験が1回あるだけです。

従って、航空母艦を東洋に派遣する運用もしておらず、東洋艦隊はコンベンショナルな方法で、戦艦を使って基地を破壊する行動に出たのです。

これに対して、日本海軍は基地航空隊からの爆撃機、攻撃機で攻略することになります。つまり、こんな構図になります

1940年タラント空襲 航空母艦からの停泊中の艦船への攻撃

1941年真珠湾攻撃 航空母艦からの停泊中の艦船への攻撃(大規模)

1941年マレー沖海戦 基地航空隊からの移動中艦船への攻撃

1942年珊瑚海海戦 航空母艦から移動中の航空母艦への攻撃

1942年ミッドウェー海戦 航空母艦から移動中の航空母艦への攻撃

このように段々難度が上がってきております。この難度を上げたことが山本大将の功績であり、失敗にもつながることかもしれません。

新しい戦法をこのように次々に拡充していく戦いでは長続きしないのです。

本来は、真珠湾攻撃は一度だけ新戦法でおこなって、その後の戦いはコンベンショナルな戦艦による砲撃、雷撃を使用したほうが既存勢力の活用になったのかもしれません。

やはり連合艦隊司令長官としては戦力の運用バランスを欠いていたような気がします。

もっとも、航空機によるハワイ空襲による太平洋艦隊の殲滅は8年以上前から提唱していますから、ご自身の中に悲願として刷り込まれていたきらいがあります。

しかし、もう一つ不安があったのは、これで、戦闘が終わるような戦いであるならこれで良かったのです。

これですべての戦力を無力化して、後は終わり、つまり、日本海海戦の状態になるのであれば、これで、良いのですが、その後戦線を拡大するとなると、果たしてこれで良かったのかなと思うこともあります。

日本の航空部隊の育成

これについては、高く評価されるべきでしょう。もし、山本大将が航空本部長にならなかったら、これだけの初期の成果は果たすことができなかったでしょう。

山本大将の強い庇護の下で、日本の航空勢力は当時世界一の質量を兼ね備えることができたのですから。

これも、裏から見れば、ここまで育たなかったら、ハワイ攻撃などというアメリカを強く刺激する攻撃はできず、精々、フィリピンまでで、戦争の様相もだいぶ変わってきたかもしれません。

その分だけ交渉の余地がある戦いができたかもしれません。

日独伊三国軍事同盟及び日米開戦に反対

この行動も高く評価されるべきでしょう。広く考えていけば決して得策ではなかったのですから。これも後世からの結果論ですから何とも言えませんが、山本大将の働きは本来こちらの方に光るものがあったのではないでしょうか。

歴史人物一覧の第二次世界大戦はここをクリック

スポンサーリンク

連合艦隊司令長官山本五十六大将の業績を評価するのまとめ

連合艦隊司令長官山本五十六大将はいまだに軍人の中では人気第一ですが、本当はどこに人気の原点があるのかを考えてみました。

やはり手放しで考えられるのは、日本の航空部隊の育成と日独伊三国軍事同盟、日米開戦の反対行動という軍政面の活躍だと思います。

部下についての思いやりについても、賛否まちまちですのでなかなか論評できませんが、やはり気になるのは政策決定、戦闘方法の決定がギャンブル的なことです。

これも各所で指摘されていますが、なかなかバランスを取るのが難しいものです。

戦国時代の織田信長も戦力がなかった最初の戦いでは、無謀ともいえる桶狭間の戦いで勝利しましたが、その後は一貫して正攻法で押してきています。それを続けることで、天下統一を成し遂げることができたのです。

逆に、天才的武将と言われる源義経は数々の武功を上げていますが、一の谷の戦い、屋島の戦いのような奇襲が多いことが、彼の最後を暗示しているような気がします。

最後に、山本五十六大将の有名な言葉を紹介しておきます。この通りにできればよいのですが。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

歴史人物一覧の第二次世界大戦はここをクリック

コメント

タイトルとURLをコピーしました