大久保利通、吉田茂、麻生太郎:歴史を繋ぐ政治家の系譜

歴史人物

大久保利通と吉田茂、麻生太郎はそれぞれ親戚関係だと言われていますが、どんな繋がりなのかはよくわかりません。

大久保利通はご承知のように、維新の功労者であり明治政府の骨格を作った人です。そして吉田茂は戦後日本を支えた首相です。

麻生太郎は第92代の首相になります。それぞれが連なっている関係を調べていきたいと思います。

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大久保利通の子孫はどのようにつながったか

大久保利通は正妻との間に4男1女妾との間に4男をもうけています。合計8男1女ということになります。簡単に説明すると。

大久保利通の正妻満寿子との間には4男1女がいます

長男の大久保利和は家督を継いで侯爵となります。貴族院議員となり、鉄道事業をおこしますが、子がいないことから三男に家督を譲ります。

二男の牧野伸顕の牧野家の養子になり、伯爵・内大臣となります。

三男の大久保利武は兄の大久保利和の家督を継いで侯爵となります。内務官僚、貴族院議員となります。

五男の石原雄熊は利通の妹キチの養子となります。

長女の芳子は伊集院彦吉の妻となります。伊集院彦吉は明治・大正時代の外務大臣となり男爵となります。

大久保利通の妾おゆうとの間にも4男がいます

四男の大久保利夫は20代に早世します。

六男の大隈俊熊は農業技師となります。

七男の大久保七熊も農業技師となります。

八男の大久保利賢は横浜正金銀行の頭取になります。ここら辺はどんな事情だったか分かりませんが興味あるところですね。いずれ調べたいと思います。

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大久保利通の次男牧野伸顕の家系はどのようだったか

この二男の牧野伸顕が繋がっていきます。大久保利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子になりますが、養父の吉之丞が北越戦争で亡くなり、そのまま牧野伸顕として育ちます。

岩倉使節団に加わって渡米フィラデルフィアの中学で学び帰国し、外務省に入ります。文部大臣、農商務大臣、外務大臣、内大臣などを歴任します。

昭和天皇からの信頼も厚く、大戦中から戦後にかけて重要な役割を果たしています。このため、二・二六事件では、暗殺対象者となり、宿泊先の旅館は襲撃により全焼、護衛の巡査は命を落としています。

当人は、無事に逃げおおせましたが、一説によれば、孫の和子が機転を利かせて逃がしたとも言われています。

妻は、三島通庸の二女峰子になります。三島通庸も薩摩藩出身です。薩摩藩のつながりの結婚だったのでしょう。

酒田、鶴岡、山縣、福島、栃木の県令を歴任して、特に土木工事に興味があったようで、各地でかなりの実績を残しています。

牧野伸顕には一男二女、長女の雪子が吉田茂の妻

長男は牧野伸通で、その妻純子は上皇后美智子の皇太子妃時代の東宮女官長を務めています。

長女の雪子が吉田茂の妻となります。

次女の利武子は子爵秋月種英の妻となります。

つまり吉田茂は大久保利通の孫を妻としたわけです。

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吉田茂の系譜の方からたどります

吉田茂には二男三女がありました。

長男の吉田健一は英文学者となります。

長女の桜子は外交官吉田寛に嫁ぎます。

次男の正男は東北大学助教授、学習院大学教授を歴任します。

次女の江子は夭逝します。

三女の和子が福岡県の実業家であり、政治家の麻生多賀吉の妻となります。この方は、父吉田茂の転勤に伴い、パリ、ロンドン、天津、ローマに住まいを変えて、最終的にはロンドン大学に留学しています。

夫となる麻生多賀吉は九州の炭鉱王麻生太吉の三男太郎の息子です。祖父の経営する麻生商店に入社し社長となります。関連会社の麻生鉱業社長と、麻生セメント社長をつとめます。

ロンドン滞在中に白洲次郎の紹介で和子と知り合います。戦後は衆議院議員に出馬し、吉田茂いわば義理のお父さんの側近として活躍します。吉田内閣総辞職とともに政界を引退して、実業界に戻ります。

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吉田茂の三女和子が嫁いだ麻生多賀吉の長男が麻生太郎

長男の麻生太郎が実業家であり政治家、我々が知っている第92代総理大臣となる方です。

次男の麻生次郎は大学時代に事故のため亡くなります。

三男の麻生泰は実業家で麻生セメントの社長を務めています。

長女の雪子は相馬氏第33代当主の夫人となっています。

次女の旦子は外交官夫人となっています。

三女の信子が三笠宮寛仁親王妃となっています。

そして、第92代総理大臣の麻生太郎氏ですが、昭和15年9月生まれです。小学3年の頃上京し、学習院初等科に編入後大学まで進学しています。

卒業してからは、実家の麻生産業に入社し、ブラジルとかシエラレオネなどにもいたようです。そして麻生セメントの代表取締役社長に就任しています。

社長業の傍らモントリオールオリンピックにクレー射撃の部で日本選手として出場しています。

その後政界に転じてからは、ご承知のことでしょう。やはり海外との関係が深いため、基本的に英語でのやり取りは問題なく、オバマ大統領とも2人で会談しています。

海外の公務のスピーチでは通訳を介さずに直接されているようです。麻生太郎の英語は聞いたことがありませんし、普段の言動ともそれを思わせる節もないので、一度聞きたいものですね。

また一貫して家系の中にクリスチャンの伝統があるようで、この方もクリスチャンです。

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大久保利通と吉田茂、麻生太郎の関係は?のまとめ

明治の元勲大久保利通と戦後の大宰相吉田茂、そして我らの知る第92代内閣総理大臣麻生太郎の関係を説明してきました。これで関係がすっきりしてきたことでしょう。

今回の登場人物を見ていくと、確かに吉田茂が入っている関係か、海外がらみの人材が非常に多いことが特徴です。特に戦前に海外に行けるのはほんの一握りの人しかいなかったことでしょう。

さて、我らの知る麻生太郎氏は、大久保利通と吉田茂とどちらに近いと思われますか。どうも言動から見て、吉田茂に近いと考える人が多いでしょうね。血のつながりも濃いことですし。

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