吉田茂と麻生太郎の家系図|祖父・大久保利通との関係を解説

歴史人物

麻生太郎は吉田茂の孫で、大久保利通の玄孫にあたり、母方の家系をたどると両者へ一直線につながります。

一方、吉田茂自身は大久保利通の血縁上の子孫ではなく、大久保利通の孫・牧野雪子と結婚したことで姻戚関係になった人物です。

大久保利通、牧野伸顕、吉田茂、麻生和子、麻生太郎へと続く家系をたどると、明治維新から戦後、そして現代政治までを一本の線として眺めることができます。

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吉田茂・麻生太郎・大久保利通の家系図はどうつながる?

結論から言えば、麻生太郎の母方の祖父が吉田茂であり、その吉田茂の妻・雪子の祖父が大久保利通です。

家系を最も分かりやすく並べると、次のようになります。

  • 大久保利通
  • ↓ 次男
  • 牧野伸顕
  • ↓ 長女
  • 牧野雪子
  • ↓ 夫が吉田茂
  • 吉田茂・雪子夫妻
  • ↓ 三女
  • 麻生和子
  • ↓ 夫が麻生多賀吉
  • 麻生太郎

つまり、麻生太郎から見ると、吉田茂は母方の祖父です。

さらに母・麻生和子から雪子、牧野伸顕、大久保利通へと血筋をさかのぼることができるため、大久保利通は麻生太郎の高祖父、すなわち玄祖父にあたり、麻生太郎は大久保利通の玄孫となります。

ここで大切なのは、吉田茂と大久保利通の関係です。

吉田茂は大久保利通の直系子孫ではありません。大久保利通の次男・牧野伸顕の娘であり、大久保利通の孫にあたる雪子と吉田茂が結婚したことで、吉田家と大久保家がつながりました。

したがって、「麻生太郎と大久保利通は親戚なのか」と問われれば、単なる遠い姻戚ではなく、麻生太郎には大久保利通から続く血縁があります

一方、「吉田茂は大久保利通の子孫なのか」と問われれば、答えは「いいえ」です。吉田茂は大久保利通の孫娘・雪子の夫です。

この違いを押さえておくと、複雑に見える家系図がすっきりします。

私自身も最初にこの系譜を調べたとき、吉田茂が大久保利通の子孫で、その先に麻生太郎が続くように感じていました。しかし実際には、大久保家の血筋を吉田家へつないだ人物は牧野雪子だったのです。

この女性を一人加えて家系図を見ることが、三人の関係を理解する大きな鍵になります。


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大久保利通の子孫はどのようにつながった?

大久保利通には8男1女がおり、麻生太郎につながるのは次男・牧野伸顕の系統です。

大久保利通は、ご承知のように明治維新の中心人物の一人です。薩摩藩士として倒幕と新政府樹立にかかわり、明治政府では内務卿などを務め、日本の近代国家づくりを進めました。

1878年5月14日、紀尾井坂付近で襲撃され、48歳で生涯を閉じています。

家族について見ると、正妻・満寿子との間と、側室・おゆうとの間に子どもがあり、合わせて8男1女となります。

大久保利通と正妻・満寿子との間には4男1女

長男の大久保利和は大久保家の家督を継ぎ、侯爵となりました。

貴族院議員となり、鉄道事業にも携わっています。子がいなかったことから、後に三男の利武が家督を継ぐことになります。

次男が牧野伸顕です。

この牧野伸顕こそが、吉田茂、そして麻生太郎へとつながっていく人物です。

牧野家の養子となり、外交官、政治家として歩み、文部大臣、農商務大臣、外務大臣、宮内大臣、内大臣などを歴任しました。国立国会図書館も牧野伸顕を「大久保利通の次男で、牧野家を継ぐ」と紹介しています。国立国会図書館+1

三男の大久保利武は、兄・大久保利和の家督を継いで侯爵となりました。

内務官僚として地方行政などに携わり、貴族院議員も務めています。

五男の石原雄熊は、利通の妹キチの家系に養子として入りました。

長女の芳子は伊集院彦吉の妻となります。伊集院彦吉は外交官として活躍し、男爵となった人物です。

ここでも、大久保家の子どもたちが政治、外交、官僚の世界へ広がっていったことが分かります。

大久保利通と側室・おゆうとの間にも4男

四男の大久保利夫は20代で早世しました。

六男は大久保駿熊で、農業技師となっています。

七男の大久保七熊も農業関係の道に進みました。

八男の大久保利賢は横浜正金銀行で要職を務め、のちに頭取となっています。

政治家として知られる大久保利通ですが、子どもたちの進路は政治だけに限定されていません。外交、行政、農業、金融と、それぞれ異なる分野へ広がっている点も興味深いところです。

元記事で紹介していた2021年9月12日のSNS投稿では、大久保利通の墓を訪れた人が、明治政府の土台を築きながら比較的若く暗殺された大久保について、「もう少し長く生きていたら日本はどうなっていただろう」という趣旨の感想を記していました。

歴史に「もし」はありませんが、近代国家の制度づくりに大きく関与していた大久保が48歳で倒れたことを考えると、その後の日本政治への影響を想像したくなるのも無理はありません。

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大久保利通の次男・牧野伸顕から吉田茂へどうつながった?

大久保利通の次男・牧野伸顕の長女・雪子が吉田茂と結婚したことで、大久保家と吉田家がつながりました。

牧野伸顕は大久保家にそのまま残ったのではなく、大久保利通の親族にあたる牧野吉之丞の養子となっています。

養父の吉之丞が北越戦争で亡くなったため、その後も牧野姓を名乗り、牧野伸顕として育ちました。

牧野伸顕は少年時代、岩倉使節団に加わって渡米します。

アメリカで学んだ後に帰国し、外務省に入りました。

国立国会図書館の資料によると、大久保利通の次男として生まれた牧野は、アメリカ留学、ロンドンの日本公使館勤務などを経験し、後に文部大臣、農商務大臣、外務大臣、宮内大臣、内大臣などを歴任しています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)+1

1919年のパリ講和会議では日本全権の一人となり、近代日本外交の重要人物でもありました。

父・大久保利通の時代から一代を経て、政治の舞台が国内の制度づくりから国際外交へと広がっているところが、私はとても興味深いと感じます。

牧野伸顕は昭和天皇の側近としても重要な位置にありました。

そのため1936年の二・二六事件では襲撃の対象となります。

宿泊先が反乱部隊に襲撃されましたが、牧野本人は難を逃れました。外務省外交史料館のレファレンス資料でも、二・二六事件で襲撃され、危うく難を逃れたことが確認できます。レファレンス協同データベース

逃走に際しては孫の和子が機転を利かせたという逸話も伝えられていますが、このような逸話については史料によって表現が異なるため、一つの伝承として見ておくのがよいでしょう。

牧野伸顕の妻は、三島通庸の二女・峰子です。

三島通庸も薩摩藩出身で、酒田、鶴岡、山形、福島、栃木などで地方行政に携わり、特に道路をはじめとする土木事業を積極的に進めた人物として知られます。

幕末から明治初期の人脈を見ると、同郷、藩閥、官僚組織、婚姻関係が複雑に重なっています。

牧野伸顕と峰子の結婚にも、当時の薩摩系人脈という背景を考えたくなるところですが、そこは確実な史料に基づかない限り断定しない方がよいでしょう。

牧野伸顕の長女・雪子が吉田茂の妻になった

牧野伸顕には一男二女がいました。

長男は牧野伸通です。その妻・純子は、上皇后美智子さまが皇太子妃だった時代に東宮女官長を務めています。

そして、長女の雪子が吉田茂の妻となりました。

国立国会図書館の資料でも、「長女の雪子は吉田茂夫人」と明記されています。国立国会図書館デジタルコレクション

次女の利武子は子爵秋月種英の妻となりました。

したがって、吉田茂から見れば、妻・雪子の父が牧野伸顕、妻の祖父が大久保利通です。

別の言い方をすれば、吉田茂は大久保利通の孫を妻にしたことになります。

元記事で紹介していた2018年3月7日のSNS投稿では、若き日の牧野雪子について、古い写真からも気品が感じられる女性だったという趣旨の紹介がされていました。

歴史上の有名な男性をたどっていると、どうしても男性の名前ばかりが並びます。しかしこの家系では、雪子がいなければ大久保利通から吉田茂、さらに麻生太郎へ続く一本の系譜を説明できません

家系図を見る際には、政治家本人だけでなく、その間をつなぐ女性にも目を向ける必要があると私は思います。

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吉田茂の先祖と子どもは?吉田江子・麻生和子まで整理

吉田茂には二男三女があり、三女・和子の長男が麻生太郎です。次女・吉田江子は幼くして亡くなっています。

ここでは「吉田茂の孫は誰か」「吉田江子とは誰か」という疑問も含めて、吉田家の側から家系をたどってみましょう。

吉田茂の先祖は大久保利通ではない

「吉田茂 先祖」と検索すると大久保利通の名前が出てくることがありますが、吉田茂自身の血統上の先祖が大久保利通というわけではありません。

国立国会図書館によると、吉田茂は1878年9月22日に生まれ、実父は高知の自由民権家・竹内綱でした。

幼少時に貿易商・吉田健三の養子となり、吉田姓を名乗ることになります。国立国会図書館+1

竹内綱は高知県宿毛の出身で、板垣退助らとともに自由党の創立にかかわり、衆議院議員も務めています。宿毛市の人物資料でも、吉田茂は竹内綱の五男として東京で生まれ、その後吉田家の養子になったと紹介されています。須賀森市公式サイト

したがって吉田茂の家系を調べる場合、

  • 血縁上の父である竹内綱
  • 養父である吉田健三
  • 妻・雪子を通じてつながる牧野伸顕・大久保利通

という三つの流れを分けて考える必要があります。

ここを混同すると「吉田茂の先祖が大久保利通」という誤解が生まれます。

吉田茂には二男三女がいた

吉田茂と雪子の間には二男三女がありました。

長男の吉田健一は英文学者・文芸評論家として知られています。

長女の桜子は外交官の吉田寛に嫁ぎました。

次男の正男は東北大学助教授、学習院大学教授などを歴任しています。

吉田江子とは?

検索されることのある吉田江子は、吉田茂の次女です。

吉田茂と雪子の五人の子どもの一人ですが、江子は夭逝しました。

そのため長男・吉田健一や、麻生太郎につながる三女・和子と比べると、一般向けの資料で紹介される機会が少なく、「吉田江子とは誰なのだろう」と疑問を持つ人がいるのでしょう。

家系図では名前が記されていても、政治や文学の世界で活動した兄弟姉妹と違い、詳しい経歴がほとんど語られない人物です。

不明な点について無理に物語を付け足さず、「吉田茂の次女で、夭逝した」ことを基本情報として押さえておくのが適切でしょう。

麻生太郎の母・麻生和子は吉田茂の三女

三女の和子は、福岡県の実業家で政治家でもあった麻生多賀吉の妻となりました。

和子は父・吉田茂が外交官として海外勤務を重ねたことに伴い、パリ、ロンドン、天津、ローマなどで生活し、後にはロンドン大学にも留学しています。

吉田家には、国内政治だけを見ていては分からないほど強い海外経験の蓄積がありました。

夫となる麻生多賀吉は、九州の炭鉱事業で知られた麻生太吉の家系に生まれています。

元記事の系譜をたどれば、麻生太吉の三男・太郎の息子が麻生多賀吉です。

多賀吉は麻生商店に入り、企業経営に携わり、麻生鉱業や麻生セメントなどでも要職を務めました。

ロンドン滞在中に白洲次郎の紹介で和子と知り合ったとされます。

戦後は衆議院議員となり、義父となった吉田茂を支える立場で活動しました。

吉田内閣が退陣すると政界から離れ、実業界へ戻っています。

ここには、単に「有名政治家の家系」というだけではない面白さがあります。

外交官の吉田茂の娘・和子と、九州の実業家一族に生まれた麻生多賀吉の結婚によって、吉田家の外交・政治の系譜と、麻生家の実業の系譜が合流したのです。

元記事で紹介していた2020年8月18日のSNS投稿には、晩年の吉田茂と娘・和子の親子らしい率直なやり取りを紹介する逸話とともに、幼い麻生太郎が写った写真についての言及がありました。

こうした家族内の逸話は親しみを感じさせますが、歴史記事では逸話と公的に確認できる経歴を区別して読むことも大切です。

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麻生太郎の祖父は吉田茂|大久保利通とはどんな関係?

麻生太郎の母方の祖父が吉田茂であり、母方の系譜をさらにさかのぼると大久保利通に行き着きます。

「麻生太郎 祖父」「麻生太郎祖父」という検索で多くの人が知りたいのは、この吉田茂との関係でしょう。

吉田茂と雪子の三女・和子が麻生多賀吉と結婚し、その長男として生まれたのが麻生太郎です。

したがって、

吉田茂 → 麻生和子 → 麻生太郎

という関係になります。

吉田茂は麻生太郎の母方の祖父です。

麻生太郎自身も公式サイトで吉田茂を「祖父」と記しており、自身の政治観を語る際にも吉田茂について繰り返し触れています。あそたろう+1

さらに母方をさかのぼると、

大久保利通 → 牧野伸顕 → 牧野雪子 → 麻生和子 → 麻生太郎

となります。

このため、大久保利通と麻生太郎には血縁関係があります。

検索すると吉田茂が間に入った家系図が多いため、「大久保利通→吉田茂→麻生太郎」と単純につながっているように見えることがあります。

しかし血筋を正確に書けば、吉田茂ではなく吉田茂の妻・雪子を通るのです。

これは家系図を理解するうえで、とても重要なポイントです。

麻生太郎にはどんな兄弟姉妹がいる?

麻生多賀吉と和子の家族をたどってみましょう。

長男が麻生太郎です。

次男の麻生次郎は大学時代に事故で亡くなっています。

三男の麻生泰は実業家となり、麻生セメントの社長を務めました。

長女の雪子は相馬家に嫁いでいます。

次女の旦子は外交官夫人となっています。

そして、三女の信子は三笠宮寛仁親王妃信子さまです。

吉田茂の孫という観点で見れば、麻生太郎だけでなく、こうした和子の子どもたちも吉田茂の孫にあたります。

「吉田茂の孫=麻生太郎」とだけ覚えるより、和子を中心に家族を広げて見ると、家系の全体像が理解しやすくなります。

麻生太郎は実業界から政界へ進んだ

麻生太郎は昭和15年(1940年)9月20日生まれです。公式プロフィールでもこの生年月日が確認できます。あそたろう

小学3年生の頃に上京し、学習院初等科へ編入した後、学習院大学まで進みました。

卒業後は実家の麻生産業に入り、海外での経験も積みました。

その後、麻生セメントの代表取締役社長に就任しています。

興味深いのは、企業経営だけでなく射撃競技にも本格的に取り組んでいたことです。

1976年のモントリオールオリンピックに射撃のクレー・スキート競技の日本代表として出場しています。これも麻生太郎の公式プロフィールに記録されています。あそたろう

その後、政界に転じ、1979年に衆議院議員へ初当選しました。

総務大臣、外務大臣などを経て、2008年9月24日に第92代内閣総理大臣に就任しています。あそたろう+1

幼少期から海外との接点を持つ吉田家の流れに加え、自身にも海外経験があり、外交の場で英語を使ってきました。

元記事でも触れましたが、普段の日本語での独特な話し方だけを聞いていると、英語で話す姿との違いに興味を持つ方もいるでしょう。

また、麻生家にはカトリックとのつながりがあり、麻生太郎自身もカトリック信徒として知られています。

こうして経歴をたどると、政治だけではなく、外交、企業経営、海外経験という要素が何世代にもわたって重なっていることが見えてきます。

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大久保利通・吉田茂・麻生太郎の家系から何が見える?

ここまで整理すると、三人を単純に「有名政治家が続く家系」と見るだけでは十分ではないように思います。

筆者として特に興味深いと感じるのは、大久保利通から麻生太郎までの間に、政治だけでなく外交と実業という二つの流れが加わっていることです。

大久保利通は明治国家の制度づくりに力を注ぎました。

その次男・牧野伸顕は、岩倉使節団への同行や欧米勤務を経て、外交官・政治家として活躍しました。

牧野の娘・雪子は外交官として歩んだ吉田茂と結婚します。

吉田茂は戦後の首相として占領期から独立回復期の日本を率いました。

その娘・和子が、九州の実業家一族である麻生家へ嫁ぎます。

そして、その子である麻生太郎は、企業経営を経験した後に政界へ入り、外務大臣を経て首相となりました。

こうして見ると、明治、大正、昭和、平成という時代の移り変わりとともに、家系の中で求められる役割も変わっています。

大久保利通の「国家をつくる政治」、牧野伸顕と吉田茂の「外交」、麻生家の「実業」が、麻生太郎の世代で一つに重なったようにも見えます。

もちろん、家系だけで一人の政治家の思想や能力を説明することはできません。

親や祖父母が有名であっても、本人の政治的判断や評価は本人自身の行動によって見るべきものです。

ただ、人がどのような家庭環境で育ち、幼い頃からどのような人物の話を聞き、どのような世界を身近に感じていたのかは、その人物を理解する一つの材料にはなります。

麻生太郎自身も、祖父・吉田茂から直接聞いた話を講演などで紹介しています。例えばサンフランシスコ講和をめぐる吉田茂の考えについて、自身の幼少期の記憶として語っています。あそたろう

この点は、単なる「歴史上の人物同士の家系図」とは少し違います。

麻生太郎にとって吉田茂は、写真や教科書で知る昔の首相ではありません。実際に身近で接した祖父だったのです。

大久保利通の場合は何代も前になりますが、牧野伸顕、雪子、和子を通じて血縁が続いています。

私は、この「歴史上の人物が家族の記憶として次の世代へ渡っていく」という点に、家系図を調べる面白さがあると思っています。

一方で、「麻生太郎は大久保利通の子孫だからこういう政治家になった」といった単純な結び付け方には注意が必要でしょう。

家系図は人物の背景を理解する手掛かりではありますが、政治的評価そのものを決めるものではありません。

その前提に立って眺めると、大久保利通、牧野伸顕、吉田茂、麻生和子、麻生太郎という流れは、近代日本の政治史を家族という小さな窓から見る格好の例だと感じます。


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大久保利通・吉田茂・麻生太郎の関係まとめ

大久保利通と吉田茂、麻生太郎の関係は、家系図にすると意外にはっきりしています。

麻生太郎の母方の祖父が吉田茂です。

吉田茂の妻・雪子は牧野伸顕の長女で、牧野伸顕は大久保利通の次男です。

したがって、麻生太郎は母・和子、祖母・雪子、曽祖父・牧野伸顕を通じて、大久保利通の玄孫にあたります。

一方、吉田茂自身は大久保利通の血縁子孫ではなく、大久保利通の孫・雪子と結婚した人物です。

また、吉田茂の血縁上の実父は自由民権家・竹内綱で、幼少期に吉田健三の養子となっています。

大久保利通から牧野伸顕へ、牧野雪子から吉田茂へ、さらに麻生和子を経て麻生太郎へ。

この流れを一人ずつたどると、明治維新、近代外交、戦後政治、実業界という日本近現代史のさまざまな側面が、一つの家系の中に重なっていることが分かります。

元記事を書いたときには「大久保利通と吉田茂、麻生太郎はどうつながるのだろう」という素朴な疑問から調べ始めましたが、改めて系譜を整理すると、鍵を握っているのは牧野伸顕だけでなく、牧野雪子と麻生和子という二人の女性だと感じます。

政治家の名前だけを縦に並べるのではなく、その間をつないだ人々まで見ていくことで、家系図はずっと立体的に見えてきます。

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よくある質問

麻生太郎の祖父は誰ですか?

一般に「麻生太郎の祖父」としてよく知られているのは、母方の祖父・吉田茂です。

麻生太郎の母・麻生和子が吉田茂の三女なので、吉田茂と麻生太郎は祖父と孫の関係になります。

麻生太郎と大久保利通は血縁関係がありますか?

あります。

大久保利通→牧野伸顕→牧野雪子→麻生和子→麻生太郎と血縁が続いており、麻生太郎は大久保利通の玄孫にあたります。

吉田茂は大久保利通の子孫ですか?

いいえ。

吉田茂は大久保利通の子孫ではなく、大久保利通の孫・牧野雪子と結婚したことで大久保家と姻戚関係になりました。

吉田江子とは誰ですか?

吉田江子は吉田茂と雪子の次女です。

吉田茂には二男三女がいましたが、江子は夭逝したため、兄の吉田健一や妹の麻生和子ほど詳しい経歴が知られていません。

吉田茂の先祖は大久保利通ですか?

違います。

吉田茂の実父は竹内綱で、幼少期に吉田健三の養子になりました。大久保利通との関係は、妻・雪子を通じた姻戚関係です。国立国会図書館

吉田茂の孫に麻生太郎がいるのはなぜですか?

吉田茂の三女・和子が麻生多賀吉と結婚し、その長男として麻生太郎が生まれたからです。

したがって、吉田茂→麻生和子→麻生太郎という祖父・母・孫の関係になります。

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