日本初の憲法を作った男、伊藤博文!その功績と「大日本帝国憲法」制定の舞台裏

歴史人物

こんにちは、歴史ファンの皆さん!今回は、明治時代を語る上で欠かせない重要人物、初代内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろぶみ)と、彼が情熱を注いだ「大日本帝国憲法」についてお話ししたいと思います。

皆さんは、なぜ明治政府が急いで憲法を作る必要があったのか、ご存知でしょうか?実は、そこには幕末から続く、日本の重大な課題が隠されていました。この記事では、憲法制定に至るまでの政府の奮闘や、伊藤博文の知られざる苦労を、時系列に沿ってわかりやすく解説していきます。

伊藤博文のリーダーシップと憲法制定の物語を知ることで、日本の近代国家としての歩みが、きっとより身近に感じられるはずです。

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なぜ明治政府は急いで憲法を制定する必要があったのか?

憲法を制定するという一大事業には、二つの大きな理由がありました。

1. 不平等条約の改正を目指すため

幕末に江戸幕府が欧米列強と結んだ条約は、日本にとって非常に不利なものでした。これを不平等条約といいます。具体的には、外国の品物にかける関税を日本が自由に決められない「関税自主権(かんぜいじしゅけん)の欠如」や、日本にいる外国人が日本の法律で裁かれない「治外法権(ちがいほうけん)の承認」などが挙げられます。

この不平等な状況を解消するには、欧米諸国に「日本は、近代的な法律と政治体制を持った、文明国である」と認めさせる必要がありました。その象徴として、憲法の制定が急務だったのです。

2. 自由民権運動の高まりに応えるため

明治維新後、政府のやり方に不満を持つ人々、特に旧武士階級(士族)が反乱を起こすなど、国内は不安定な状況でした。また、「自由民権運動」が盛んになり、「国民にも政治に参加する権利を」「国会を開設せよ」という声が日増しに高まっていました。

政府はこれらの声に応え、国民を納得させるためにも、国の未来を示すための明確なルールブック、つまり憲法が必要だと考えるようになったのです。

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伊藤博文の奮闘!憲法制定への道筋

これらの課題を解決するため、伊藤博文は憲法制定の先頭に立ち、類まれなリーダーシップを発揮しました。

立憲政治のモデルを求めてヨーロッパへ

1881年の「明治14年の政変」で、イギリス式の急進的な議会政治を主張する大隈重信(おおくましげのぶ)を退けた伊藤は、「日本独自の憲法」の制定を決意します。そして1882年、明治天皇の命を受けて、ヨーロッパに渡ります。

彼は、当時ヨーロッパで主流だったイギリスやフランスの議会制度ではなく、ドイツ(プロイセン)の憲法に注目しました。なぜなら、プロイセンは強力な君主制(国王が中心の政治)を維持しつつ、国民の権利も認める立憲君主制(憲法に基づいた政治)を採用しており、日本の国情に最も適していると考えたからです。伊藤は、ベルリンで法学者から直接教えを受けるなど、熱心に憲法の研究を行いました。

この時の経験が、後に大日本帝国憲法がドイツの憲法をモデルとして作られる、大きなきっかけとなりました。

苦難の憲法草案作成

帰国後、伊藤博文は井上毅(いのうえこわし)伊藤巳代治(いとうみよじ)金子堅太郎(かねこけんたろう)といった優秀な人材を集め、極秘裏に憲法の草案作成に取りかかります。議論は、神奈川県の夏島(現在の横須賀市)にある伊藤の別荘や、横浜の旅館などで行われました。

この作業中、伊藤が使っていた鞄が盗まれるという事件が起きてしまいます。一時は「憲法の草案が盗まれた!」と大騒ぎになりましたが、幸いにも単なる空き巣による犯行で、重要な書類は無事だったという逸話が残されています。この話からも、憲法制定がいかに重要なプロジェクトであったかがわかりますね。

初代総理大臣を辞任してまで憲法に集中

憲法発布の準備が整うと、伊藤博文は当時の内閣総理大臣の職を辞任します。そして、憲法を審議するために新設された枢密院(すうみついん)の議長に就任しました。この異例の人事は、「国の将来を左右する憲法制定に全力を注ぐ」という伊藤の並々ならぬ決意の表れでした。

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ついに完成!大日本帝国憲法発布とその意義

1889年(明治22年)2月11日、ついに大日本帝国憲法が明治天皇から国民に発布されました。この憲法は、国民主権ではなく、天皇が主権を持つ「天皇主権」を規定するものでした。

この憲法により、日本の統治機構は大きく変わります。天皇のもと、行政を担う内閣、立法を担う帝国議会、司法を担う裁判所という三つの権力が分立し、近代的な国家の体制が整いました。

これにより、日本は「近代立憲国家」として国際社会にアピールできるようになり、不平等条約の改正も進んでいきます。伊藤博文の功績は、単に初代総理大臣という肩書にとどまらず、日本の国際的信用を高め、未来を切り開くための「土台」を築いた点にあると言えるでしょう。

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まとめ:伊藤博文と憲法制定が現代に伝える教訓

大日本帝国憲法の制定は、明治政府が直面した最大の課題「国際的信頼の確保」と「近代国家化」を実現するための鍵でした。その先頭に立ち、実際に憲法を作り上げたのが伊藤博文です。彼のリーダーシップと、国の未来を見据えた決断力は、現代の私たちにも多くのことを教えてくれます。

国の制度や法律の重要性、そしてそれを実現するために尽力した先人たちの努力を考えることは、現代の社会をより良くするために何ができるかを考える、良いきっかけになるのではないでしょうか。

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