安田善次郎刺殺事件はどうして起こったか。

歴史人物

安田善次郎は安田財閥の祖と言われていますが、この方は1921年(大正10年)9月28日に右翼の朝日平吾に自宅で刺殺されております。

この原因としては何があったのでしょうか。また、この事件は1ヵ月後に起こる原敬首相暗殺事件の引き金となったとも言われていますが、どのような影響があったのでしょうか。

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安田善次郎刺殺事件はどのように起こったのでしょうか

1921年(大正10年)9月27日、神奈川県中郡大磯町にある安田善次郎の別邸に弁護士風間力衛と名乗る男があらわれ、労働ホテル建設についての話として面会依頼があったが、安田善次郎は断っております。

その翌日再び現れた風間は門前で4時間粘ったといわれています。面会したのは9時20分ですから相当早くから来たものと考えられます。

安田氏は応接間で対応したところ、突然短刀で切りつけたため、逃げようとして廊下から庭に転落したところ、喉を刺されて絶命します。享年82歳です。

風間というのは詐称した名前で、本名は朝日平吾と言いますが、応接間に戻り、所持していた短刀と西洋刀で喉をついて自殺します。

その時の斬奸状が残されています。内容は次のようです。

奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス

悪徳豪商の安田善次郎は巨万の富を築いたがその富豪としての責任を果たしていない。国家社会を無視し、貪欲にして卑しくケチで長らく民衆の恨みを集めている。私はその頑なさを哀れみ仏心と慈しみの言葉で諭そうとしたが悔い改めることはなかった。そのため天誅を加えて世の戒めとする

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安田善次郎はどのようなことをした人でしょうか

安田善次郎は富山藩の下級武士の子として1839年(天保9年)に生まれます。1858年(安政5年)に奉公人として江戸に出て、独立し、乾物と両替商を始めます。これがうまくいったようで、安田銀行、損保会社、生保会社を設立します。また、釧路港、硫黄鉱山の開発、釧路炭田の開発などの事業を手掛けています。

南満州鉄道への参画と第三国立銀行の頭取にも就任しています。

東京市に慈善事業費として300万円、東京帝国大学に講堂建築費として100万円、早稲田大学にも寄付金を出しています。

文字どおり安田財閥の祖と言えるでしょう。

しかし、安田善次郎には暗殺当時知られていないことがありました。

東京大学の安田講堂、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校用地などを寄贈しているのですが、彼は「名声を得るため寄付をするのではなく、陰徳でなければならない。」として匿名で寄付を行っていました。

このため世間には全く知られていなかったのです。従って富豪の癖にケチだという風評が流れたのでしょう。安田講堂は死後に安田善次郎を偲びその名前を付けることになりました。

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犯人の朝日平吾はどのような人だったのでしょうか

1890年(明治30年)佐賀県に生まれます。家は蝋屋と油屋を営んだ後、製茶と成功するなど豊かだったといわれます。1910年に軍隊に入り1914年には山東半島に従軍しています。

その後、満州に渡ったり、中国東北部、朝鮮半島を転々としていたようです。その頃はやりの大陸浪人ですね。1919年に日本に帰り、いろいろなところの手伝いをしたり、頼ったりしていますがいずれも長続きしなかったようです。

犯行をおこす直前には、都市労働者向けホテルの建設趣意書をもってあちこちから資金集めをしていたようです。その寄付の申し入れ先には、渋沢栄一とか大倉喜八郎なども入っていたようです。

まともにあっていたら、渋沢栄一もそこでおしまいだったかもしれません。そんなことですから、どこに矛先が向くかわからないような感じですね。

時は戦後恐慌で不況の真っただ中です。本人も株式で相当の損をしたようですが、その時得た噂がこの事件の引き金になります。

安田財閥の首領安田善次郎が株を一手に買い占めて2000万円の利益を得たというものです。このことが犯行を決意した原因だと言われています。斬奸状の内容からもそのことと合致しています。

朝日の葬儀については、犯罪者にもかかわらず、安田善次郎に負けないような葬儀をしようということで、全国の労働者や支援者が集まってきました。また、マスコミも無責任にも英雄視して書き立てたため、一層そのことが助長されたそうです。

しかしながら、安田善次郎の数々の寄付のことを知っていたら、このようなことは起こったのでしょうか。

少なくとも世間が暗殺者朝日平吾をたたえるようなことはなかったのではないでしょうか。そう考えるととても残念です。

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安田善次郎刺殺事件はどうして起こったかのまとめ

安田善次郎刺殺事件は、長く続く不況の中で、一部の富豪だけが富を握りしめるという、令和時代と似た構図の中で、行き場のないはけ口を財閥の長に求めたものと考えます。

また、世間も金持ち=悪、という構図に載ってしまって、暗殺者をたたえるという愚行を犯しているのです。また、マスコミも調べればわかるはずなのに安易に迎合記事を書いて、暗殺者を英雄視してしまいます。

しかし、殺された安田善次郎はそれなりの社会貢献をしているわけで、気の毒としか言いようがない感じです。この事件を契機にテロの本質が少しずつ変ってきたような気がします。

つまり、テロの犯人を英雄視する傾向が出てくるのです。このことから、1ヵ月後に起こる原敬暗殺事件の引き金になったと言える事件です。

更に昭和にかけて、暗殺事件が起きてきますが、暗殺者、犯人に甘い判決が続くことになります。このことが、戦前のテロが跋扈する背景となる土壌を作っていったのかと思います。

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