大河ドラマ「青天を衝け」で活躍の藤田東湖が残した漢詩正気の歌は

歴史人物

「青天を衝け」で水戸藩の徳川斉昭に尽くした渡辺いっけいさんが演じる藤田東湖は幕末の水戸学の中心人物です。尊王攘夷論を理論化した人でもあります。

著作もいろいろ残していますが、その中でも、南宋の文天祥の正気の歌にちなんで作った漢詩「正気の歌」はその代表作と言われています。

この詩は、幕末時代には多くの人に愛され、尊王攘夷気分を盛り上げました。また、第二次大戦中には学徒出陣の際の東条英機首相の訓示にも引用されたことで知られています。

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藤田東湖の「和文天祥正気歌」の内容は

詩については、一句5字が74行にもわたる壮大なものです。簡単に言えば、神州日本には正気というものが満ち満ちており、国が災いに対するときに、正気があらわれて物事を解決していくというものです。

タイトルは「文天祥の正気の歌に和す」というものですが、今では普通に「正気の歌」と言われています。

 

天地正大気

粋全鍾神州

秀為不二岳

巍巍聳千秋

注為大瀛水

洋洋環八洲

発為万朶桜

衆芳難与儔

 

最初の8行はこんな感じですが、原文を連ねていくと飽きてしまうでしょうから。訳文だけで紹介したいと思います。イメージだけご理解ください。

 

天地に満ちる正気、

混じりけなく純粋に神州日本に集まる。
正気は秀でては富士となり、

高く大きく幾年もそびえる。
注いでは大海の水となり、

盛んに流れて日本をめぐる。
開けば多くの枝の桜の花となり、

ほかの花々の及ぶところではない。

 

というところから始まって、歴史上のたとえ話を挙げています。

大化の改新での中臣鎌足、弓削の道鏡を排斥した和気清麻呂、元寇の時の北条時宗、南北朝時代の楠木正成の事例を挙げて、これらが正気が発現した例として掲げております。

この時代の近いところでは、赤穂浪士の例も引き合いにしています。

その後、幕府の政策に反対していた藩主徳川斉昭が蟄居させられたことを批判しております。そして藩主にどこまでもついていこうとしています。

最後の方は次の通りです。

 

ああ、わが身は例え何度も死んだとしても、

どうして正気と離れることを忍べようか。
わが命の絶えるも伸びるも天地にまかせる、

生死を疑うことなどできようか。
生きればまさに主君の冤罪を晴らし、
主君が国の根本で活躍する姿を見る。
死んでは忠義の鬼となり、

どこまでも天子の国家を護ろう。

 

尊王攘夷ガチガチの詩ですが、当時の若者には感動した人が多かったようです。

今から見ると、ちょっとどうかなと思うところがあるのですが、それはその時代の雰囲気を背負っていますので、後世からみて批判しても仕方がありません。

 

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正気の歌のもとになった文天祥はどのような人だった

文天祥は南宋の時代の人です。藤田東湖の600年ぐらい前です。

科挙の試験を20歳で状元(トップ)で合格した人で、当時モンゴルに侵略されていましたので、徹底抗戦を主張した人です。

しかしながら、結果的に国は滅んでしまって、文天祥自身はとらわれて、元の大都(今の北京)に送られてしまいます。

元は宋の有能な官僚を登用したいため、獄に繋がられている文天祥に仕えるよう何度も働きかけます。この説得に3年費やしたようですが、最後まで、帰属しなかったようです。

結果的に処刑されてしまいました。この獄中にあって作った詩が「正気歌」です。

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藤田東湖の詩のもとになった文天祥の正気歌を簡単に紹介

書き出し最初の8行はこんな感じで始まります。

天地有正氣
雜然賦流形。
下則爲河嶽
上則爲日星。
於人曰浩然
沛乎塞蒼冥。
皇路當淸夷
含和吐明庭。

 

宇宙には正気がある、

その場に応じてさまざまな形となる。
下っては大河や高山となり、

上っては太陽や星となる。
人にあっては浩然と呼ばれ、

広がって大空に満ちる。
政が清く平らかなら、

和らかな言葉が宮廷にでる。

 

出だしは、似た感じですが、こちらの正気の歌の方は天地創造を想起させるような始まりです。スケールが大きい感じがします。さすがに中国ですね。

その後、忠義を具現した様々な歴史上の出来事が紹介されていきます。どれも中国の古典の事例ですが、我々にはなじみがないので、紹介は避けます。

その後、この牢獄の状況を述べて、いまだに変わらない自分の決意を述べて締めくくっております。

文章は5言で60行ですので、藤田東湖の詩よりは少し少なめです。でも、こちらの方が原典ですので、藤田東湖はこれを習って詩を作ったものです。

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青天を衝けで活躍の藤田東湖(渡辺いっけい)残した尊王攘夷の詩のまとめ

幕末物は大河ドラマでも定番の話題ですが、なかなか藤田東湖が出てくるものがなかったので、うれしい喜びでした。

最初に紹介したように、水戸藩の改革に活躍していましたが、安政の大地震で母親をかばって事故死してしまいます。大変残念ですね。

しかし、彼が精力を費やした尊王攘夷思想はその後も生き残って、幕末を動かす大きな力になりました。

後世から考えれば、いささか過激思想ですので、その後の血みどろの争いの原因にもなったことでしょう。また、尊王思想も行き過ぎると、戦前の天皇史観にもつながります。

歴史を考えるのは難しいものです。

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